地質部

地質部

地質部ミニ巡検(三波川2)

 三波川変成帯で最も有名な“紅簾石片岩”?この石が世界で初めて発見されたのが、この場所と同じ三波川変成帯にある埼玉県長瀞町です。プレートの沈み込みによる高い圧力により、元の岩石がはがれやすい層状(片理)となったものです。同じように圧力がかかっても元の石の成分が違うと、緑色や黒色、キラキラした銀色と様々な結晶片岩となります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

図 紅簾石片岩(乾いたもの)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

図 紅簾石片岩(濡らしたもの) 

 マントルをつくるカンラン岩が沈み込み帯の水と反応し、変成作用を受けたものが“蛇紋岩”です。ヌルヌルスベスベした表面と暗い緑色がアオダイショウのうろこみたい、これが名前の由来です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

図 蛇紋岩(乾いたもの)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

図 蛇紋岩(濡れたもの)

 

 

 

 

0

地質部ミニ巡検(三波川1)

三波川(結晶片岩の崩壊斜面) 三波川は埼玉と群馬の県境を流れる神流川の支流です。この川は“三波川変成帯”として地球科学ではとても有名な場所です。プレートの沈み込みによる変成作用(低温高圧)を受けた岩石が分布しています。そのため河原では薄い層の重なった“結晶片岩”やマントル物質が起源の変成岩“蛇紋岩”が多くみられます。

 

 

 

 

 

図 三波川(結晶片岩の崩壊斜面)

 

三波川周辺の群馬県藤岡市(旧鬼石町)で採れる緑色の変成岩“緑色片岩”は“三波石”といい庭石に加工されています。

 

 

 

 

 

 

 

図 加工中の三波石

0

2/5 地質部の紹介

今回は福島「いわき~滝根~石川」巡検の様子を紹介します。

 

❶『中生代地層 アンモナイトセンター』

 いわき市北東には後期白亜紀(恐竜の時代)の地層(双葉層群)が分布しています。この地層は日本ができる前のアジア大陸近くの浅い海ででき、『アンモナイト』や『サメ』、『首長竜』の化石も見つかっています。ここでは生息域が違う『アンモナイト』が混在しています。『アンモナイト』は中生代を代表する『示準化石』で、地層の年代を決定するのに役立ちます。

地質部1 

❷『新生代地層 石炭・化石館』

 いわきの『常磐炭田』は本州最大の埋蔵量をもち、戦後復興を支えました。1976年いわき市内の炭鉱はすべて閉山になりましたが、今でも地下には約11億トンの『石炭』が眠っています。
『石炭』は水中に堆積した植物が変成してできた可燃性の岩石です。日本では古第三紀(恐竜の時代が終わった後の時代)の石炭が多く、『常磐炭田』もその時代のものです。写真のマスクは坑内での災害(可燃性ガス、一酸化炭素ガス等発生)時に用いたものです。危険で過酷な仕事であったことが分かります。当時のいわきの様子は映画「フラガール」に描かれています。

地質部2 地質部3

➌『古生代地層 あぶくま洞』

 『結晶質石灰岩(大理石)』の露頭です。この岩石は『石灰岩』がマグマに焼かれてできる『変成岩』です。真っ白でキラキラした『方解石』でできていて石材になります。石灰岩分布地帯には地下水の作用により鍾乳洞が発達します。

地質部4 地質部5

❹『ペグマタイト鉱物 石川町歴史民俗博物館』

『ペグマタイト』とは、『花崗岩マグマ』が冷えて固まるとき、『花崗岩』に入れなかった元素や揮発成分を含んだマグマの残液が、ゆっくり固まってできた岩石のことです。結晶に入れなかった元素は濃縮して特殊な鉱物を作ります。そのため『レアメタル』鉱物が数多く見つかり、『ペグマタイト鉱床』を形成します。かつて石川町には100ヵ所近くの鉱山がありにぎわったそうですが、1973年にすべて閉山となりました。

地質部6 

上【カリ長石の巨大結晶】カリウムを多く含む長石で、岩石によく見られる鉱物。焼き物のうわぐすりとして使用。

 地質部7 

上【煙水晶の巨大結晶】『水晶』は六角柱状で結晶面が成長した『石英』のこと。『石英』は岩石によく含まれる鉱物でガラスの原料になる。

❺『おまけ① 稲田石 笠間PA』

 北関東自動車道・笠間PA(茨城県)では、車止めに笠間市稲田地方の特産である『稲田石(稲田白御影)』が使われています。この石はマグマが地下深くで、ゆっくり冷えて固まった『花崗岩』です。『稲田石』は他の産地の『花崗岩』より若く、風化が進んでいないため緻密で、対候性に優れています。消費地にも近く、地形が採掘に適しているため現在でも盛んに採掘が行われています。

地質部8

❻『おまけ② 大型漁船 小名浜港』
 小名浜港では『大型漁船』が数多く停泊していました。写真は『サンマ棒受網船』と『旋網船』。『運搬船』も停泊していました。先ほどの『常磐炭田』の炭鉱夫、この『遠洋』の乗組員、いつでも死と隣り合わせの過酷な労働であり、このような産業が戦後日本の復興を支えていたことを考えずにはいられません。

地質部9

上【棒受網船】両舷の集魚灯が特徴。

地質部10

上【旋網船】網を巻き上げるパワーブロックが見えます。

0